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3月「校長室から」

更新日:2017年3月26日

3月26日(日)

  今日はお父さん、お母さんへ向けた「校長室から」です。
  「うそつきは泥棒の始まり」とか「食べ物を粗末にするな。もったいない。」「お米は育ててくれた人の八十八の手間がかかっているんだからよくかんで食べなさい」「弱い者いじめは卑怯者のすることだ」「親孝行な子になりなさい」かつてはこういった言葉がおじいさんやおばあさんから、それはそれはうるさく言われたものです。もちろんお父さんやお母さんからも同じ言葉が繰り返されました。「小言」の定番です。
  一昔前のおじいさんやおばあさんは学校を出ていなくても自然に対する畏れや生命に対する尊厳を大切に持っていました。尊厳というのはわかりやすくいうと「ありがたみ」という言葉にでもなるでしょうか。「もったいない」とか「弱い者いじめをするな」とか「うそをつくな」「物を無駄にするな」 こうした言葉は、実は私たち日本人の背骨のような言葉でした。時代は変わり、おじいさんやおばあさんと同居する家も少なくなり、子どもたちの周りからはこうした言葉が遠くなりました。今の中学生を持つお父さんやお母さんからからも、こうした言葉が使われなくなって久しいのではないでしょうか。
  「文化」という言葉があります。国語辞典には『その社会で受け継がれる、生活、行動の在り方』とある通り、代々にわたって受け継がれていく行動の在り方は大切な文化です。自然に対する畏れや生命に対する尊厳を大切にする文化は世代を超えて、つないでいかなければいけないものだと思います。ともすると、今こうした言葉を使うと、「時代が違う」「古臭い」「説教がましい」と煙たがられたり、子どもたちの言葉でいえば「ウザイ」というやつですよね。使うほうが妙に照れたりと、この文化の鎖はどうも切れてしまっているように感じます。
  文化を次の世代につないでいく責任は若者よりも人生経験を積んだわれわれ年長者にあります。いつの時代にあっても大切にされなくてはならないこうした行動の在り方についての大切な言葉は、煙たがられようが、ウザがられようが、照れずにしっかりと若者に届けるべきです。これは「最近の若い者は」といったレベルの小言とは違うものだと思うからです。ぜひ力を貸してください。小言は無形文化遺産です。


静かな春休みの朝です

3月25日(土)

  なんの飾りもない、自然で素直な言葉というのは何とも心地よいものです。2013年1月に101歳で亡くなったおばあちゃん詩人柴田トヨさんの詩集「くじけないで」(飛鳥新社刊)を久しぶりに手にしてしみじみ感じました。以前も一度紹介したことがありましたね。明治44年、栃木に生まれて、明治、大正、昭和、平成と生き抜いてきたトヨさん。産経新聞「朝の詩」という投稿欄の常連で、詩を作り始めたのは92歳になってからだったそうです。全部は紹介できないので「さびしくなったら」という詩のワンフレーズをちょっとだけ紹介してみましょう。
 
さびしくなった時 
戸の隙間から
入る陽射しを
手にすくって
何度も顔に
あててみるの
・・・・・・
                                                                      
  戸の隙間から入る陽射しはお母さんのぬくもり。おっかさん、わたし頑張るねとトヨさんの詩は続けられています。                       
  本の終わりに掲載された『「朝はかならずやってくる」― 私の軌跡』という文章を読むと震災や空襲など実に様々な苦労の中、必死に生きてきたことが伝わってきます。でも、本の中のトヨおばあちゃんの写真は何とも温かな笑顔でほほえんでいて苦労の中に身を置いたことなんか微塵(みじん)も感じさせません。詩人新川和枝さんはトヨおばあちゃんの詩を評して「今もなお、みずみずしい感性をお持ちでいらっしゃるとは、なんと素晴らしいことでしょう。専門の詩人の世界においても、それはきわめて稀(まれ)なことです。」と書いていらっしゃいました。感性がみずみずしい人は、たとえ高齢であっても少女のような精神の弾力性を失わないものと言えるのかもしれませんね。
  若さというのは実年齢ばかりではなく、感性のみずみずしさ、つまり感性がどれだけ水気(みずけ)を多く含んでいるかを言うのでしょう。とすればたとえ実年齢こそ若くても、感性に水気のない、精神に張りのないカッチカチな人は若者とは言いがたい・・・・とはちょっと厳しすぎるかな。感性は物事に対するアンテナです。アンテナに自然と電波が集まるような感性をみずみずしいというのです。心したいポイントです。


22日 富士中の桜 開花宣言です

3月24日(金曜日) 28年度修了式

さて、皆さん、ちょっと目をつぶってみてください。
去年の今日は何をしていたでしょうか。   はい目を開けていいですよ。

去年の今日から1年後の今。今日の皆さんの姿は去年の今日の皆さんから見た、見えなかった未来の自分の姿です。

それでは、もう一度目をつぶってみてください。

来年の今日の自分は何をしているでしょう。
どんな姿でいるでしょう。来年の自分の姿が見えますか。 はい、結構です。
 
今日の皆さんから見れば来年の皆さんの姿は自分の未来の姿。そして今の皆さんは来年の皆さんから見れば、過去の思い出の姿となりますね。

時間というものは、今を境に過去と、未来が確かにつながっています。途切れることはありません。ともすると未来の姿は遠くて見えないように思いがちですが、今の姿が未来の姿に間違いなくつながっているのです。

よく「3年生になったらがんばる」「部活引退したら未来の自分のためにスタートを切る」なんて線を引きがちですが、実は今の皆さんの姿が未来につながっているとすれば、今をどう頑張るかこそが一番大切なんだと気付きませんか。線を引いた区切り目なんか実はどこにも無いのです。自分が楽をしたい言い訳で自分が線を引いていることに他なりません。

さあ、28年度も今日で終了。
去年の今日の自分から成長したところはどこですか。
来年の今日の自分に向けて何からがんばればよいでしょうか。

明日からがんばるという人は明日になってもがんばれない人です。
今からがんばるという決意こそが本物です。
ぜひ、今という時間を大切にしたいものです。

いろいろなことがありましたが、一年間みんなよく頑張りました。
皆さんの力で富士中をぜひさらに一流の学校を目指して高めてください。
今年富士中を離れる先生と私には皆さんの活躍を直接見届けることはできませんが、富士中生ががんばっているニュースを少しだけ離れたところで楽しみにしています。 1年間ありがとうございました。


28年度が今日で終了です。1年間ありがとうございました。

3月23日(木曜日)

  南越谷小学校の卒業証書授与式に行ってまいりました。
  以前小学校の入学式に出席したことがありました。ついこの間まで幼稚園や保育園の年長さんだった小さな子どもたちが、先生の先導でお父さんやお母さんのカメラの放列の中を入場して来ます。いすに座っても足をぶらぶらさせてる子、後ろを向いてお母さんの姿を探している子、隣の子を突っついている子、式の途中でコックリコクッリしてしまう子、まさに自由奔放なピカピカの一年生。それから一月ほど経った5月に授業中の教室に入らせていただくと、その子どもたちはみごとにきちんと小学一年生に変身していました。小学校の先生方の指導に驚いたことを覚えています。そして入学して六年。夢と可能性を全身にまとってステージ上で今日、卒業証書を受け取っている姿を見ると六年間という時間がいかに大きなものかがわかるような気がします。とても堂々とした態度でした。返事も所作も立派でした。       

「ところで皆さんはなぜ義務教育の9年間を6年と3年に分けて、わざわざ一度小学校を卒業してから中学校に入学するかを考えたことがあるでしょうか。なぜでしょう。答えは小学校は基礎基本の勉強を身に付けるところ、中学校ではその力を使って力を伸ばす応用するところ。だからわざわざ途中で卒業と入学という節目を置いているのです。小学校で身に付けた力を様々に使ってみるのが中学校なのです。」   

  今年の新入生説明会の時にこんなお話をしました。義務教育9年間は卒業・入学を節目として挟みつつも、ちょうど螺旋(らせん)階段を上っていくように、くるくる回りながら高いところへ登っていくものです。途中の切れ目はありません。小学校から中学校へ。学ぶ場所が変わっても学び方や生活の約束などは変わるものではありません。より深く、高くなるだけです。
  今、富士中は小中一貫教育を通してそれをより見えるようにしていきたいと考えています。小学校の卒業証書授与式に参列させていただきそんな思いをより強めました。出羽小も、越ヶ谷小もみごとな卒業証書授与式だったと報告が届きました。ご卒業おめでとうございます。中学校で待ってます。


本年度最後の給食です


1年2組 最後まで準備がとっても速い!


1年4組は牛乳で乾杯!

3月22日(水曜日)

  夢の遺伝子
  1995年(平成7年)1月17日早朝、兵庫県を中心に阪神・淡路大震災が発生。大きな被害が出てしまいました。その時その男の子は小学校1年生。通っていた小学校も被災したため、大変な思いをする中、その小学校に一人のJリーガーがやってきました。彼は神戸に住む友達から「被災した子供たちを何とか励ましてやってくれないか。」と頼まれ二つ返事で引き受けてやってきたのです。それが「キングカズ」こと三浦知良選手でした。サッカーを始めたばかりのその男の子にとっては雲の上どころか神様のように憧れている三浦選手を目の前にして、体がしびれるほど感動したそうです。その時じゃんけんで勝ち残った人に三浦選手からサインの書かれたスポーツバッグがプレゼントされ、その男の子はそれを生涯の宝物として大事にすることになります。「僕もいつかきっと三浦選手のようなJリーガーになる」 これが、小学校1年生、6歳の少年の心にしっかりと根を下ろした目標となりました。この男の子はこの日から13年後、三浦選手と同じピッチに立ち、対戦相手としてJリーグの試合に臨むことになります。この男の子の名前は香川真司くん。日本代表のミッドフィールダーです。
  そして、さらに時は流れて、2011年3月11日。東日本大震災により甚大な被害を受けた東北仙台の小学校のグラウンドには、まぶしい目で見つめる子供たちの中心に香川選手の姿がありました。「カズさんが僕たちにしてくれたように、今度は僕が子どもたちに夢と元気を与えたい」と彼はインタビューに答えています。
  人間には遺伝子という次の世代に引き継いでいかなくてはならない大切な情報があります。お父さん、お母さんから、子どもへ、そしてその子どもがやがて親となって次の世代へ。代々引き継がれていきます。これと同じように、私たちの夢というものも遺伝子を持っているのかもしれません。あこがれだった三浦選手と出会った、小学校1年生の少年が、時が来て同じピッチに立ち、一つのボールを追っている。そして、自分が三浦選手にしてもらったように、次の世代の小学生に「震災に負けるな」と被災地でエールを送る。香川選手の前でそれをまぶしく見つめている小学生の中から、次の世代にその遺伝子を受け継いで夢の実現を果たす少年がきっと出てくることでしょう。
  皆さんも、一人一人きっと夢の遺伝子を持っています。あこがれの人、尊敬する人、あんな人になりたいなと思う人・・・その人の言葉や、姿こそが夢の遺伝子と呼べるものではないでしょうか。ぜひ、一度ゆっくりと考えてみてください。あこがれは夢への大きな原動力の一つですから。 

  さあ、今日は本年度の給食最終日です。給食センターの皆さん、一年間ありがとうございました。


脱いだものをきちんとたたむ富士中の遺伝子

3月21日(火曜日)

  福島県の会津。会津には江戸時代、全国に三百を越える藩校・・・藩校というのはそれぞれの藩が開いた学校ですが、三百を越える藩校の中でもその規模内容ともに一番といわれた「日新館」という学校がありました。江戸から明治に時代が移るときに戊辰戦争という戦争があって、戦火に焼かれてしまったのですが、昭和六十二年に復元されました。
  水練といって水泳を学ぶ池まで用意された大きな学校です。 その学校へは十歳になると入学が許可されましたが、入学前の六歳から九歳までの子どもたちには年長者である先輩たちから「什の掟」(じゅうのおきて)という約束事がきちんと教えられてから入学するという伝統がありました。今と大きく違う時代のことですから「什の掟」の中には今では信じられないようなことも書かれています。例えば、その六には、「戸外でものを食べてはなりませぬ」とあります。今では電車の中ですらハンバーガーをほおばりながらマンガを読んでいる若者もいますから実に大きな違いです。でも、外でものを食べながら歩くなどもってのほかというしつけは、つい最近まで日本ではきちんと守られていた伝統だったのです。
  さて、その最後にこういう言葉があります。 「ならぬことはならぬものなり」 たとえそこにどのような理由があったとしても、してはならないことは絶対にしてはならないのだと言うことです。六歳から九歳といったら今で言う小学一年生から三年生といった「あれほしい」「これ買って」と一番言いたいときでしょう。日新館では入学前に目上の子どもから「ならぬものはならぬ」とがまんをすることの大切さがきちんと教えられていたということは、今の私たちにしてみると何とも耳の痛い話です。
  私たちはともすると「ならぬものはならぬとは言うものの、何とかなるのではないか」と考えがちです。それはがまんするという経験が減ってしまい、がまんすることに耐えられなくなってしまっているからに他なりません。がまんをしなくてもすむ時代であっても、がまんが必要ない時代では決してありません。がまんをするということはいつの時代であっても人として必要な力です。江戸時代だからがまんが必要で、平成の今だから必要ないと言うことは少しもないのです。自分の毎日の生活をふと振り返ってみたとき、どうでしょうか。 「ならぬものはならぬものなり」噛みしめてみてください。3学期も残すところあと三日。


池の金魚たちの動きも活発になりました

3月20日(月曜日)

美しいことばは相手にキモチよくつたわる
ひびきのよいことばは相手のキモチをなごやかにする
ことばで語りことばで受け答える
ことばではげましことばで礼をいう
よくわかることばほどうれしいものはない
やさしいことば使いはおたがいの心をむすびつける  

  この詩は、童謡「ちいさい秋みつけた」などの作詞で知られるサトウハチローさんの「よくわかることば」という詩の一節です。詩の中にある「よくわかることば」とは、相手に“伝わる”言葉のこと。自分の気持ちをただ伝えるだけでなく、相手のことを思いやり、相手を理解して伝える想いこそ、“よくわかる”優しい言葉なのでしょうね。このサトウハチローさん、「おかあさんの詩人」として“母と子”を詠った詩は、400編近くにものぼる数といいます。
  さて、人は自分の持っている言葉の数で、世の中の様々なことを理解します。言葉の数を「語彙」と言いますが、語彙をたくさん持っている人は細かく自分を見つめることができます。つまり、私たち人間が、言葉の数で物事を理解したり、自分を見つめているということは、言葉の数の少ない人はどうしたって浅い理解にとどまるということです。世の中の様々なことが理解できない、自分という人間がどういう人間なのかがわかりきれない・・・・そして、自分の周りの人にも思いが至らない・・・・これって、持っている言葉が少なければ至極当然ですよね。
  同じ料理を食べても、言葉が豊かな人はその料理を、様々に持っている自分の言葉を組み合わせながら、味わい、それを表現することができます。おいしさを存分に言葉で表すことができ、人に伝えることができるわけです。一方、言葉が豊かでない人は同じものを口に入れても、「やばい。」「チョーうまい。」・・・・・これでは人にはその料理のおいしさは伝わりません。これが料理の味を伝える程度のことであれば、「食べてみりゃわかるよ。」で済ますこともできますが、自分の気持ちを友達に伝えるといった場面では、(わかってよ、私の気持ちを)といくら思ったところで、言葉に乗せなければ伝わろうはずないのです。伝わらないからと言って、いきなり殴ったり、蹴っ飛ばしたり、怒鳴りつけたり・・・・こんな理不尽なことはありません。でも、世の中のニュースを見ていると、言葉が少ないことに端を発した事件というのがとても多いように思うのは私だけでしょうか。  

※今日は春分の日。暑さ寒さも彼岸まで。さあ春本番に突入です。   


福島県から白河ダルマと感謝状が届きました

3月19日(日曜日)

  入り日、夕日や月の出、月の入りに太陽や月が大きく見えるのは、これまでずっと地表の空気の層によって光が屈折したりするからだと思い込んでいました。ところが国立天文台のホームページの「よくある質問」というところにこんなことが書かれていたのでびっくりです。 

  「月や太陽が地平線(水平線)近くにある時に大きく見えるのは、目の錯覚によるものといわれています。ただ、なぜこのような錯覚が起こるのかについて、まだはっきりとした説明はついていません。月の近くに建物や山などの景色が見えて、それと比較できるときとそうでないときで、大きさの感じ方が違うのではないか、という人もいます。」   

  目から鱗(うろこ)とはまさにこういうことで、長らく思い込んでいた知ったかぶりの一つでした。なぜこんなことを調べるに至ったかというと、春の夕暮れを詠んだこの一首に出会ったからです。作者はアララギ派の代表歌人、斎藤茂吉。本校図書館の「はじめてであう短歌の本(あすなろ書房刊 桜井信夫編著 池田げんえい絵)」の中にあった歌です。  

春がすみ とほくながるる 西空に 入日おほきく なりにけるかも  

  うっすらと春霞がたなびく中を、西の空に太陽が沈んで行こうとしています。赤く大きく沈みゆく夕日。辺りをオレンジ色に染め、その大きさたるや日中頭上にあった時と比べるとびっくりするほど大きく見えます。ああ、春の一日もこうして暮れ行くんだなぁ。・・・・なんと雄大な歌なのでしょう。みなさんにも日没間近の太陽の大きさに目を引かれた経験がありませんか。歌詠みは同じ光景を目にしても見事に三十一文字にして見せてくれます。改めて感動です。まだ春霞は先ですが、季節は着実にうつろっていきます。一日一日を大事に過ごしましょう。


太陽までの距離は149,600,000 km

3月18日(土曜日)

  今日は神様を味方につける方法をお話しします。
 世界のホンダ・・・・そのもとを作ったのはスーパーカブという50ccの一台の原付バイクでした。本田宗一郎さんというホンダの創業者は、昭和の戦後間もない頃、坂道を自転車に重い荷物を載せてこいでいく奥さんの後ろ姿を見て「何とか楽させてやれないものか」と考え、自転車に補助エンジンをつけたのがスパーカブの誕生だったそうです。バイクに不慣れの女性用に自転車のペダルを踏み込むだけでスピードが変えられるように可変装置、つまりクラッチにも新しい工夫を発明しました。奥さんを楽させてやりたいという思いから操作の簡単さ、丈夫さ、燃費のよさを追求しているうちに世界160の国に愛される、世界最高の販売台数を誇るバイクが生まれたのです。
  さて、皆さん。今日は「神様を味方につける話をします」と最初に書きました。今日の話を読んでどうすれば神様が味方につくかわかりますか。実は一人でも多くの人の笑顔を増やそうと志を立てたときに神様が味方するのです。私たち富士中が大切にしている言葉「志」。「何のために働くのか」「誰のために働くのか」その動機が「志」と言う言葉となるでしょう。今風の言葉で言うと、「モチベーション」という言葉になるのかもしれません。皆さんならまずは「何のために勉強するのか」をしっかりと持つことが「志」であり、その志を確かに持つことが神様を味方につけることなのです。そしてこの志が自分にとどまらず、一人でも多くの人の笑顔を増やそうという、より高いものになると神様はさらに味方してくれるようです。 

  最後に受け売りですがこの言葉をプレゼントします。「志の高い者に天は味方する」
筑波大学村上和雄名誉教授がおっしゃった言葉というメモが残っていました。目的や動機をしっかりと持つことこそ「志に燃える」原動力なのですね。


朝が早くなってきました

3月17日(金曜日)

  主人公は麦わら帽子がトレードマークの海賊・・・・と言えば皆さんの中にも多くのファンがいるのではないでしょうか。夢への冒険、仲間たちとの友情といったテーマを前面に掲げ、闘いやギャグシーン、感動のエピソードをメインとする物語として国民的人気を博している漫画『ONE PIECE』です。日本のみならず海外にもたくさんのファンがいるんですよね。よくテレビでこのアニメのコスプレを楽しんでいる海外の方の映像を見ることがあります。作者は尾田栄一郎さん。主人公は、夢は「ひとつなぎの大秘宝」=ワンピースを見つけて「海賊王」になることというルフィという青年海賊。実はこのコミックには仲間を大切にするセリフがあちらこちらに登場するのですが、そのうちの第一巻にある言葉を今日は紹介しましょう。 

「いいか、山賊・・・・・俺は酒や食い物を頭からぶっかけられようが、唾を吐きかけられようが、たいていのことは笑って見過ごしてやる。だがな、どんな理由があろうと、俺は友達を傷つける奴は許さない!」 

  これは海賊シャンクスが山賊に向かって言った言葉です。シャンクスが酒場でグデグデとお酒を飲んでいるところに山賊たちがやってきます。海賊と山賊。当然ごたごたが起こります。しかしシャンクスは山賊たちの言いがかりに一向に腹も立てずに、へらへらとお酒を飲んでいます。見るに見かねた、まだ子どもだったルフィーが、無謀にもその山賊に「いい加減にしろ」とばかりに食いつきました。当然山賊につかまってボコボコニやられてしまうその時、今までへらへらと酒を飲んでいたシャンクスが言った一言がこれです。その後、山賊からルフィーを助けるために海に飛び込んだシャンクスは海にすむ怪獣に片腕を食いちぎられてしまいますが「仲間が助かったことに比べれば大したことじゃない」とまで言います。そしてルフィーはこの時、この後トレードマークになる麦わら帽子をシャンクスから仲間のしるしとして頭にかぶせてもらうのです。第1巻のスタートのところです。
  こうした、友達を心から大事にする言葉。言葉だけではありません。彼らは仲間を助けるために強い相手とも戦ったり、逆に間違いを犯そうとする仲間がいると体を張って力ずくでも説得して止めたりもします。そして、この『ONE PIECE』というコミックには、「卑怯ないじめ」や「自分勝手ないじめ」といったことは一切出てきません。そんなルフィーたちの仲間との爽快な姿が3億冊を超えた驚異的な発行部数につながっているのでしょう。3億冊以上も売れているということは日本中の多くの若者が「友達」を信じ「卑怯ないじめ」を憎んでいるからだと思います。そんなルフィたちには日本だけでなく世界中のファンが拍手を送っているのです。まさに「仲間」や「友達」を大切にすることは世界共通。
  このお話はある小学校の学校だよりで見つけた校長先生のお話をもとに中学生の皆さんに向けて書いてみました。アニメからだって感じる心があれば、何かしら感じられるはずだと思います。


3学期もあと1週間です

3月16日(木曜日)

どんな立場の人であろうと
いつかはこの世におさらばをする
たしかに順序にルールはあるけど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと 

  シンガーソングライターの中島みゆきが作った「永久欠番」という歌詞の一節である。12月のこの欄に137億年の宇宙の時間について書いたことがあったが、時間軸を変えて私たち人の世を俯瞰して見るとこうした歌詞の意味がよく見えてくるように思う。

  3年生の先輩たちが卒業した。行事も授業も、部活動も一生懸命頑張った先輩たちが抜けた穴は埋めようもないと今日の朝には感じるが、時がいつしかその空いた穴を埋め、「何も変わる様子もなく」やがて新しい時間は流れ始める。それが世の常というものなのだ。歌詞はこう続けられる。 

百年前も百年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい 

  新しい時間は生きていたことを帳消しにして先へ急ぐと歌詞の一行には淋しさを込めて表現されている。果たしてそうだろうか。過ぎ去った時間は決して帳消しではない。頑張った3年間はまさにこの歌詞のタイトルの通り「永久欠番」となって輝き続けるのだ。3年生たちは私たち富士中に一流を目指す志の火種を残してくれた。勉強にも部活動にも行事にも「語り継がれる学年にしよう」と一生懸命だった。文武両道という誇りがよく似合った3年間。整然とした下駄箱や掲示物へのいたずらの無さなど学習環境を自慢できる学年だった。暴力とは無縁の明るい3年間だった。 

百億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中
人は永久欠番 

  また4月に新しい風が富士中に吹き、いつか流れ行く時間の中で今年の3年生のことが静かに忘れられていくとしても、卒業していく先輩たちの3年間は富士中の歴史の中では間違いなく永久欠番なのだ。背番号45。永久欠番は富士中の殿堂の中で輝き続ける。そして次の学年はそれを超えることを目標に新たな歩みを始めることになろう。それが歴史であり、伝統であり、いつしか校風となって富士中そのものを輝かせることになるのだ。
  確かにどんな記念碑も雨風に削られて表面に書かれた文字が薄くなることはあるかも知れない。だからといって頑張った月日そのものが決して帳消しになどなることはないと卒業式の翌日のここ「校長室から」に記しておきたい。人の世も同じだと思う。生きていたことが帳消しになる人生などどこにもない。
  昨日の卒業証書授与式も先輩たちはさすが一流を目指す富士中学校らしい態度であり、挙措であった。昨日の式辞では別れの美しさと未来のまばゆさについて触れた。今日から2年生は最上級生である。1年生はまもなく先輩と呼ばれる立場となる。「永久欠番45」の卒業生の後ろ姿に追いつき、追い越し、君たちが次の永久欠番を手にしてほしい。本校には『最上級生の背中が下級生を育てる』という確かな学校文化がある。学校文化はつないでこそ価値がある。今日からの富士中を頼む!


みごとな卒業の姿でした

3月15日(水曜日) 第45回卒業証書授与式

あおげば 尊し わが師の恩  教えの庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月  今こそ 別れめ いざさらば 
   互いにむつみし 日頃の恩  別るる後にも やよ忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ今こそ 別れめ いざさらば
   
朝夕 馴にし まなびの窓 螢のともし火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月   今こそ 別れめ いざさらば
 
 
  校長室の窓の外から静かにピアノの音が聞こえてきます。「仰げば尊し」の旋律です。卒業式を間近に控え、日本の学校らしいなぁ、ああ学校っていいなぁとしみじみ感じます。最近は歌詞に「いと」や「め」だの「やよ」だのといった古語が使われているのでこの文部省唱歌を歌うことも少なくなったし、歌詞を正しく理解できていない人も多いのかもしれません。めっきり耳にすることも減ってしまいました。ちょっと現代の言葉に直してみましょうか。  
 見上げれば何とも尊くありがたいものだなあ 先生から受けた恩は
この学校で学んで もう何年かが過ぎてしまった
思えばたいへんに月日の流れるのは速いものだった
今こそ別れようではないか ではさようなら 
(先生ありがとうございました お元気で)
 
一緒になかよくし過ごしてくれた毎日をありがとう
別れ別れになってもどうか忘れないでほしい
君もみごと一人前になり、名をあげられるようにどうか頑張ってくれ
今こそ別れようではないか ではさようなら 
(友だちよありがとう お互い頑張ろう)
 
毎日慣れ親しんだ教室の窓からの風景 
蛍の明かりや積もる白い雪の光で一生懸命がんばって勉強した毎日
忘れることなど片時もなかった毎日の学校で過ごした日々
今こそ別れようではないか ではさようなら 
(我が学舎(まなびや)よ かけがえのない大切な思い出をありがとう) 
 
  昨年夏、陸上部の全国大会の応援に行ったときに長野県は松本市にある明治六年に開校した日本でも最も古い小学校の一つ「旧開智学校」というところを見学してきました。江戸から明治へ。当時の日本人がどんな思いで学校を作り、どんな思いで子どもたちに勉強を教え育てようとしたかが実によく伝わってきた施設でした。先生が訓導と呼ばれていた時代の学校です。身の引き締まる思いで木製の長い廊下を歩きながら「仰げば尊し」の歌詞がとても似合う校舎だなとふと思ったことを思い出しました。
  さあ今日は越谷市立富士中学校第45回卒業証書授与式です。56人の先生方、281人の友だち、そして創立45周年を迎えた懐かしい学舎に「ありがとう」の気持ちを込めつつ 今こそ 別れめ いざさらば!お元気で!


卒業 おめでとう

全校生徒の皆さんありがとう! 先生方ありがとうございました!

予行が終了した後、期せずして全校生徒の皆さんから感謝状と「仰げば尊し」の合唱のプレゼントをいただいてしまいました。全校887人がもう二度とこの体育館に集まることのない最後の最後の瞬間に、心に残る最高のプレゼントを本当にありがとうございました。胸がいっぱいで涙を抑えることができませんでした。感謝の言葉しかありません。卒業式で歌うことのない「仰げば尊し」はこのために練習してくださっていたんですね。本当に、本当に、本当にありがとうございました。正直なところ、このサプライズにはまいりました。涙腺崩壊でした。


義務教育最後の給食はカレーでした

3月14日(火曜日)

  ランキングというものは思わぬものが見えてくることがあって、おもしろいものですが、以前紹介した「13歳のハローワーク」の公式サイトに2017年1月の一か月に限った「中学生がなりたい職業ランキングベスト100」を見ていて考えさせられました。
  私たちが子どものころは、将来何になりたいと聞かれたら、学校の先生、警察官、魚屋さん、肉屋さん、大工さん・・・・・というようにその職業は大体こんなことをするんだろうなという想像ができました。職業選択という点で考えると、その職業について、はっきりとした輪郭はあったけど、きっと今よりもずっと夢の扉は少なかったように思います。でも、今はどうでしょう。100位までのランキングを見ると実に様々です。パティシエ、ブライダルコーディネーター、ブックデザイナー、メイクアップアーティスト、ネイルアーティスト・・・・カタカナで書かれた職業だけ見ても、かつてはなかった実に様々な職業が「夢」のランキングに並べられていることがわかります。 これから先、皆さんが社会に出る頃には今ある職業がなくなったり、今はまだない職業が増えていることも十分考えられるのだそうです。
  さて、みなさん。夢の扉がたくさん用意されているということは自分に合った職業に出会える可能性がより高いということに他なりません。もちろん、その逆に夢の扉を前にして、たくさんありすぎて選ぶのに悩む、選びきれないという今どきの若者ならではの悩みっていうのもあるかもしれませんね。
 
  ここで、皆さんに重大なお知らせです。この夢の扉は前に立てばさっと自動的に開くなんていうドアは一つとしてありません。その上どうすれば開くかは夢ごとにみな違います。ただし一つだけ言えることがあります。ロックンローラーの矢沢の永ちゃんがこう言ってます。
「ドアの向こうに夢があるなら ドアがあくまで たたき続けるんだ」

明日は第45回卒業証書授与式。5年先、10年先の自分を思い描いてぜひ雄飛してほしいものです。君たちの前にはどのドアを叩いたらよいのか迷うほど、たくさんの未来へのドアがあるのですから。
※今日は1・2年生が式に参列できない分、みんなで準備に当たります。


3年間の感謝を込めて教室をきれいに(3年生奉仕作業)

3月13日(月曜日)

  予行は何のためにやるのだろう。
  体育館が小さいのか、人数が多すぎるのか、残念ながら在校生のほとんどは卒業生の見事な姿を卒業証書授与式当日には目にすることができない。卒業証書授与式での感動を共有できないということは学校として実に大きな損をしている。なぜなら卒業していく3年生の姿こそが富士中での3年間の集大成の姿だからである。極端に言えば3年生の卒業していく姿こそが「富士中」そのものの姿と言い換えることができるほどのものである。実に残念だ。

  ゆえに今日が887人と先生方全員が集まる人生で最後の機会となる。本校では1、2年生に3年生の姿を見せる場が今日の卒業証書授与式予行なのである。他の学校の予行とはさらに重みが違うと言えるかもしれない。本校の予行は単なる練習ではない。全校生徒の別れの場でもあるのだ。

 常々、儀式的行事とは感謝の気持ちを形で表すものであると言い続けてきた。3年生は卒業証書授与式当日と同じ気持ちと態度で一流の集会態度の姿を後輩の目に焼き付けてほしい。一流を目指す姿とは、かくも凛とした緊張感を持った姿なのかを見せてやってほしい。
1、2年生はやがてやってくる自分の卒業の姿を3年生に重ねて未来を思い描いてほしい。次は私たちの番だと心ひそかに決意を固めてほしい。

  まじめに取り組むことに照れない。一生懸命はカッコイイと同義語である。先日、釜石小学校の校歌を紹介した際にも書いたとおり、「風爽やかに 富士山は」と、この校歌を母校の校歌として歌えるのは全国約1万校の中学校のうち、君たち本校生徒と14、216人の卒業生だけである。本気は人を感動させる。そして感動は人を大きくする。


後ろ姿にも真剣さが見て取れます

もう一つ付け加えます

  先日9日に3年生を送る会が行われました。実行委員会を中心に手作り感のある実に温かな会でした。特に立派だったのは2年生の姿です。姿勢もよく、場の雰囲気に合わせたメリハリのある態度はとても気持ちのよいものでした。すぐ目の前に座る3年生に対面でお礼の言葉を述べる場面ではどうしても照れてしまいがちですが、お礼の言葉はもちろん、その後の合唱も「ああ、大人になったなあ」「立派になったなぁ」という印象でした。うれしくなりました。ズバリ!この会の成功は2年生の姿だったと言っても過言ではないと思います。
  3年生の前生徒会長の高宮さんが「いろいろ激励の言葉を言おうと思っていたけど、今日の合唱や言葉を聞いて来年以降の富士中も大丈夫だと確信しました」と言っていました。わたしも同じことを思いました。1年生もしっかりやっていたと思いますが、2年生の態度は際だって光っていました。送られる側の3年生もくだけすぎない範囲の中で、明るく盛り上げていましたね。合唱はさすがでした。
  吹奏楽部、各部の部長会、そして生徒会本部。ビデオ映像を編集してくださった先生方。出演してくださった先生方。みんなが手作りで一つの行事を作り上げ、笑顔で終えることができたように思います。素敵な時間をありがとうございました。


アーチの中を入場です


生徒会本部からのメッセージ


先輩ありがとうございました

3月12日(日曜日)

昨日は3月11日。 このお話しを再掲します。もう一度読んでみてください。

  『岩手県大槌町(おおつち町)。この町は縄文時代の遺跡が多く発見されることからも、大昔から豊かな海の恵みに支えられていたことがわかる。でも、美しい海に面したこの町では東日本大震災の時に1,200人もの方の命が津波によって失われた。その大槌の海を見渡せる丘の上に一つの電話ボックスがある。そこには様々な人が電話を掛けにやって来る。電話ボックスの中にあるのは昔ながらのダイアル式の古い黒電話。しかし電話線はどこにもつながっていない。それでも、一人、また一人と電話を掛けにやってくるのだ。
 受話器を手に静かに話し掛ける人、うなずきながら受話器に耳を澄ます人。受話器を耳に当て泣き続ける人。訪れても、決心がつかずに電話ボックスに入れない人。津波で亡くなったおじいちゃんに「来年から小学校だよ。おじいちゃん風邪ひかないでね」と語りかけている孫の姿。震災後3年がたっても訪れる人は絶えないと当時の新聞にはあった。電話ボックスの扉には「風の電話」という紙が貼ってあり、電話機の横にはこんな言葉が記されている。『風の電話は心で話します。静かに目を閉じ、耳を澄ましてください。風の音が、または浪の音が、あるいは小鳥のさえずりが聞こえたならあなたの想いを伝えて下さい』
  「あまりにも突然、多くの命が奪われ、せめて一言、最後に話がしたかった人がたくさんいるはずだ」。と、この地に住んでいた佐々木格(いたる)さんという方が、自宅の庭の片隅にこの電話ボックスを置いたものだそうだ。そしてその白い枠の電話ボックスには一冊のノートが置いてある。風の電話をかけに来て亡くなった懐かしい人とお話をした後、それぞれが思いをつづっていったものである。
  「あの日から二カ月たったけど、母さんどこにいるの?親孝行できずにごめんね。会いたいよ。絶対見つけて、お家に連れてくるからね」
  「あなたの白髪がとにかく懐かしいです。私はこれからの生活に全力を出して貴方の娘を守って行きます」
いかにあの震災が大きな傷跡を残したかを改めて感じさせる。
 かつて日本には竹の節を抜いてお墓に刺し、亡くなってしまった懐かしい人と言葉を交わすという風習を持つ地域があった。この「風の電話」の新聞記事を読んでそれを思い出す。いつの時代も大切な家族を失った悲しさは何も変わりはしない。佐々木さんは「街の復興も容易ではないが、人の心の復興もたやすくはできないものなんです。」と話していた。』
  ・・・・・昨日であの日から6年目を迎えました。町は復興を目指して変わりつつあることがテレビの画面を通して紹介されています。鉄道の開通がニュースとして笑顔とともに報道された日もありました。ともすると私たちはブルドーザーによって取り去られたがれきの山と同じように、あの日の悲しみや痛みも心のどこかに片づけられたかのように思いがちです。確かに街に笑顔の量は少しは増えたかもしれません。でも一人一人の心には線のつながっていない電話に語りかけてでも懐かしい家族と話がしたい、会いたいという悲しみが6年経った今でも何も変わらずに残されているのです。

  阪神淡路大震災、そして東日本大震災、さらには昨年の大分熊本地震。震災のたびに「当たり前の暮らし」というものを考えさせられます。東日本大震災から6年、もう一度考えたいと思い加筆再掲しました。6年たった今日も「風の電話」の置かれている電話ボックスには懐かしい家族を思って受話器を握って涙を流している人がいるかも知れません。


午後の陽射しが昇降口を明るく照らします

3月11日(土曜日)

  みなさんは「あなたにとって忘れることのできない歌は何ですか?」と聞かれたら、どんな歌を思い浮かべますか。一人一人に忘れることのできない歌が必ずあるでしょう。ここにある学校の校歌があります。

いきいき生きる いきいき生きる
ひとりで立って まっすぐ生きる
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる
息あるうちは いきいき生きる

少し不思議な言葉の使い方が耳に残りませんか。実はこの校歌は日本語を使わせたら達人の、私の大好きな作家、もう亡くなられましたが、井上ひさしさんという方が作詞をなさった岩手県の釜石小学校の校歌なのです。3番はこんな歌詞です。

しっかりつかむ しっかりつかむ
まことの知恵を しっかりつかむ
困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ
手と手をつないで しっかり生きる

  釜石市は東日本大震災の時、市内14校に3000人の小中学生がいて、残念なことに小学生4人、中学生1人が命を落としてしまいました。しかし海岸線沿いはもちろん市街地も壊滅的な被害を受けた中にあって奇跡的に犠牲者が少なく、「釜石の奇跡」と報道されました。その中でも釜石小学校は高台にあり全校児童が地震発生時には下校していたそうですが、地震の揺れが収まるや否や、全員が学校に走って避難して来て一人の犠牲者も出なかったのだそうです。
  そんな中に当時6年生の4人組の男の子たちがいました。彼らは公園で遊んでいたのですが地震の揺れがあまりに大きいのですぐに学校への避難を考え、走り出しました。彼らの中に一人、足が不自由で義足の男の子がいたのだそうです。4人で走り出したものの、その子は3人から遅れてしまいます。その時前を走る3人に向かって、彼はあらん限りの声で叫んだのです。 「僕はいいから、先に行け!」
  3人は、その声を聞いて義足の友達のところに駆け戻り、背中に代わる代わるおぶって、学校まで走り抜いたと言います。このとき校歌の歌詞「手と手をつないでしっかり生きる」をずっと歌い続けながら学校に向かったのだそうです。この校歌がいかに心に残る、勇気を与えた歌だったかがわかります。
そして、その後避難所となった釜石小学校の体育館では朝のラジオ体操の後、避難してきた住民の方みんなで、この校歌を大きな声で歌ったのだという話もありました。生きることへの応援歌として校歌の歌詞が大きな励ましになっていたのでしょう。
  校歌というのは多くの子どもたちに長い時間歌い継がれてきた力がしみこんでいます。甲子園で歌っている球児の姿を見てもそれが強く感じられます。私たち富士中の校歌も45年に渡って卒業生14,216人が歌い継いできた校歌です。日本中でこの校歌を母校の校歌として歌えるのはみなさんこの学校の生徒と卒業生しかいません。心の応援歌となるよう、歌う時には全力で歌おうではありませんか。
  今日のこのお話は25年3月 道徳教材資料集 大災害の感動集録から紹介させていただきました。あの日から6年。14時46分には黙祷を静かにささげたいと思います。


校長室の校歌の額です


 校門左手の校歌碑です

3月10日(金曜日) 今日は二つのお話しを掲載します

  あるリーフレットにこんな文章を見つけました。
  『思わず食べてみたくなるような郷土料理や、その地域ならではの独特な食べ方などを紹介するテレビ番組があります。番組で取り上げられる料理や食材は、ほかの地域の人から見れば 「えーっ!?」と思う意外なものがあり、時には、地元住民にとっても驚きがあります。そこには、先人の知恵と工夫があり、地域の歴史と文化があります。今は、お金さえ出せば、何でも口にできる時代です。しかし、日々の食生活について、もう一度考えてみる時ではないでしょうか。食べ過ぎてはダイエットを繰り返すような生活は本来の食事の在り方とは遠く離れたものでしょう。生きていく上で、私たちは食べなければなりません。日々口に運ぶ食べ物は、自然の恵みであり、文化の結晶です。丹精込めて作った人たちの思いであり、愛情込めて調理した人たちの思いでもあります。一粒でも、一片でも粗末にせずに、口にしたものが血となり、肉となるのだという思いを噛みしめながら、心豊かな食事をしたいものです。』

  毎日欠かさず行っている「食べる」という行為。行為だけで見れば「食う」であろうと「いただく」であろうと、口に入る食べ物そのものに、何の変わりはないのかもしれませんが、それをこの文章にあるように食は「文化の結晶」とみるとどうでしょうか。2013 年 12 月にユネスコの無形文化遺産に日本の食文化「和食」が登録されたことは皆さんの記憶にも新しいところだと思います。お正月や田植えなどの年中行事との深い関わり、四季の変化に応じた豊かで新鮮な山の幸、海の幸。そして、自然をみごとに表した美しい盛り付けや色彩などがその特色に挙げられ、世界遺産として後世に残すべき宝物だということで選ばれたのでした。世界の人が自然を大切にする日本人の心を料理に感じたことに他なりません。確かに会席料理など、食べてしまうのがもったいないような美しい料理があります。
  でも、いくら美しく盛り付けられた、自然豊かな料理であっても、食べる人が、ただ口に入れればいいという食べ方では、そこに「文化」というものは存在しません。大切なのは食に対する「感謝の気持ち」だと思います。食材そのものへの感謝はもちろん、料理をしてくれた人へ、配膳をしてくれた人へ、一緒に食卓を囲んでくれる人への「感謝の気持ち」、そしてそこから生まれるのがマナーやエチケットなのではないでしょうか。「いただきます」「ごちそう様」も言わずに、ただ食べるような食べ方に感謝の気持ちは感じられませんよね。「食う」「食らう」ではなく「食べる」「いただく」。これこそが人間の文化なのだと思います。
  その人を知るには一緒に食事をしてみればすぐにわかるという言葉もあります。毎日食べている給食だって同じ。マナーやエチケットを考え、食べること に感謝しながら、友達との楽しい思い出のひと時を作ってほしいものです。 3年生は来週月曜日の13日が給食最終日。3年間どころか、9年間の感謝の思いを込めてどうぞ召し上がれ。給食は青春の思い出の味です。もう一度味わいたい方は先生になって学校に戻ってきてください。

今日は県公立高校の入学許可候補者発表日。人生一喜一憂是春秋。


プールの上はにぎやかでした

明日は3月11日。忘れてはいけない日。そこでもう一つお話しを掲載します。

  みなさんには心に残る手紙というのはありますか。メールではありません。手紙です。仲の良い友達からの年賀状だったり、遠く離れて住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんからの手紙だったり、懐かしい小学校の先生からの手紙だったり。今までの人生の中で、少なからず一通の手紙を通した思い出が心のどこかに仕舞われているのではないでしょうか。卒業を控えて、皆さんも家族にあてて手紙を書いたりした経験はないでしょうか。家族にあてて手紙を書くというのは妙に照れくさいものですよね。
  これは一人の男の子の話です。彼も卒業式を目前に控えて担任の先生に言われて、クラスのみんなと一緒に家族にあてた手紙を書いたそうです。みんなが家に帰って家族に手紙を手渡す中、どうしても照れくさくて手渡せないでいました。宮城県石巻に住んでいた当時12歳の佐藤雄樹くんです。彼が何日もたって「お父さん、これ。」とようやく手紙をお父さんに手渡したのは3月10日の夜でした。6年前の今日です。全文4行の短い、短い手紙。そこには
「12年間育ててくれてありがとうございました。言うことをきかなくて迷惑かけてきたけど、心の中では感謝していました。本当にありがとうございました。ゆうきより。」
  今読むとすべて過去形の文末になっていることに気付かされます。この手紙を残し、彼の命はその翌日、黒い津波に飲み込まれたのです。震災前夜という時間、過去形で書かれた手紙・・・ともに偶然の一致でしょう。でも、お父さんには「まるで遺書のような手紙だな。虫が知らせたのかな。」と感じたそうです。そんな心に迫る新聞のコラムの切り抜きが机の中から出てきました。命のはかなさとともに、命の尊さ、大切さ、家族のありがたさを感じたあの震災の日から6年。雄樹君のお父さんは今もきっとこの手紙を胸のポケットにいつも大切に持っていることでしょう。
 


紫陽花も芽吹きました。春です。

  パソコンやスマートフォンを通して電子メールが発達し手紙は大きく様変わりしました。電子メールは確かに便利ですが、そこには表情はありません。絵文字はあくまでも記号。文字で書かれた手紙には一文字一文字に書き手の表情が見て取れます。文字そのものの持つ力、つまり人間そのものがそこにはあると思います。時にはこの雄樹君の手紙のように、悲しみという思い出とともに生き続けることになる手紙もあるでしょう。でも、皆さんにはどうか受け取った人がいつまでも心のポケットに温かな思い出とともにしまっておきたいと思えるような手紙をしたためてほしいと思います。メールに頼るばかりではなく、たとえ字はへたくそでも、表情のある紙の手紙のよさを大切に。

3月9日(木曜日)

  皆さんが卒業した小学校。6年間も毎日通っていた学校も時は流れ、今では後輩たちのものになっています。母校ではあっても、もう自校ではありません。新しい世代が引き継いで、ここでもまた新しい歴史が作られています。毎日のように友だちと通った駄菓子屋さん。中学生になった今ではただ通り過ぎるだけの風景の一つに過ぎないのではないでしょうか。世の中は持ち回り。自分が成長して関わりがなくなった物や場所は、いつのまにか次の世代に引き継がれて、そこではまた次の主人公によって、新しい物語が新しいページに書き込まれます。

こどもたちよ、 これはゆずりはの木です。
このゆずりはは 新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉 こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる、
新しい葉にいのちを譲って。

  こんな言葉で始まる一篇の詩。私は河合酔茗という詩人の書いたこの「ゆずりは」という詩を読むといつも卒業していく中学生の皆さんを思い浮かべます。皆さんもゆずりはの一枚一枚の葉のように、この学校を次の後輩たちのために譲る日がやってきました。体育館も、グラウンドも、教室も、机も、椅子も、皆さんが先輩たちから譲られたように、あと何日かすると次の世代に譲られるのです。そしてその流れは止まることがありません。学校どころか、街だって、自然だって、すべてがいつかみなさんにすべて譲られます。その時「手に持ちきれないからいらない」と次の世代の主人公たちには断ることはできません。だからこそ、いずれ譲られるすべてをしっかりと受け継げるように、そしてさらに次の世代にしっかりと譲り渡せるように今学んでいるのだと思います。

  あんなにいつも子どもたちの手を引いて行っていた公園に、まったく行くことがなくなったことにふと気づかされます。そう言えば遊園地や動物園にもずいぶん久しく行っていません。いつの間にかそうした場所は次の世代の若いお父さんやお母さんが小さな子どもたちの手を引いて次の家族の歴史を作っていく場所となりました。
  今日は三年生を送る会。ゆずりはの詩が思い出されます。でも、卒業していく皆さんの前には皆さんを次に受け取る新しいゆずりはの木が待っています。それこそが成長というものなのでしょう。


朝日に校舎が染まる朝のひととき

3月8日(水曜日)

  昭和35年岐阜県を流れる庄川という一本の川に東洋一の「御母衣ダム」(みほろダム)が完成しました。しかし、ダムの完成によって、もともとそこにあった集落の360の家々はダムの底に沈む運命にあったのです。その中に樹齢400年をこえる大きな2本の桜の木がありました。(何とかこの2本の木を救うことが出来ないか)という村の人々の思いによって2本の木の移植工事が行われたのでした。庄川桜というこの桜は移し替えが大変難しく、多分根付かないだろうと言われた桜の老木でした。
  しかし、村人みんなの願いが届いたのでしょう。困難を極めた桜の移植は見事成功し、3年後の春、桜は再び満開の花を咲かせました。ダムの底に村が沈んで、ばらばらになった村人たちは、その桜の木の下に集まり花見をし 再会を喜びあいました。その最中のことです。一人のおばあさんが立ち上がり桜の幹をなではじめ、木にすがりつきながら声を上げて泣き始めたのでした。この光景が一人の人間の心を大きく揺り動かしました。「桜はええなあ。強くて優しくて、人の心を呼ぶんや」その人の名前は佐藤良二さん。 彼は名古屋から金沢まで、全長260キロを走る“名金線”と呼ばれる日本一長い路線を走る国鉄バス、今のJRバスの車掌さんでした。
  彼が思い描いた夢は、自分の乗るバスが走る道路沿いに桜を植え、名古屋から金沢まで続く桜並木を作ることでした。それは、5万本を超える桜を太平洋から 日本海に抜ける道路に植えるという、それこそ途方もない夢です。家族や周囲の人から非難されながらも、給料をつぎこみ暇さえあれば桜を植え続けた良二さん。しかし、彼は志半ばにして病のため倒れてしまいます。彼が桜を植え始めた昭和41年から亡くなる年までに植えた桜の木は2000本にもなったそうです。「時間がない。ふるさとを俺は桜の花で飾るんだ。たとえ俺は枯れ木のように倒れたっていい・・・・・」 昭和51年、良二さんは47年の生涯を閉じます。しかし、良二さんが思い描いていた桜街道の夢は同僚や家族に受け継がれ、そして、現在、教科書や映画でも紹介され、多くの人の知るところとなりました。彼と桜のことを知った多くの人によって、今でも夢は続いているのです。
  実は彼の情熱を支え続けたのは、お父さんの言葉でした。お母さんを早くに亡くし、男手ひとつで良二さんたち兄弟を育ててくれたお父さんはいつもこう言っていたそうです。 「人様の喜ぶことをせないかんのや。ぼろを着ても社会に尽くせ。」 お父さんを尊敬していた彼は、この言葉を生涯胸に、「太平洋と日本海を桜で結ぼう」と生きたのでした。
  “桜”  春が近づくにつれ、こんなにも開花が心待ちにされる花は他には見当たりません。開花宣言がニュースとして報道されるほどです。「花」と言えば 「桜」、 平安の昔から桜は日本人に最も愛されてきた特別な花。そんな桜に魅せられ、人生の全てを賭けて、桜を植えつづけた一人の男性。それを支えた父の言葉。今日は、本や映画にもなった「太平洋と日本海を桜で結ぼう」というお話しをしました。皆さんはこんな生き方にどんな感想を持ちますか。(さくら道  太平洋と日本海を桜で結ぼう 風媒社刊 中村儀朋)


春のその時を待つ富士中の桜です

3月7日(火曜日)

  今日は100年という時間を見通して見るというお話をお届けしましょう。今皆さんはこれから 100 年先の世界を予想したらどんな世界を想像しますか。明日のことだってよくわからないのに、100年先なんて無理、無理・・・・・ってところでしょうか。人間という生き物は、どうも節目、節目がとっても気になる生き物らしく、1900年の時に「これから20世紀になるけど、100年後はきっとこんなことができるようになっていると思います」って予想したものが新聞に載りました。そのうちのいくつかをちょっとのぞいてみましょう。報知新聞1901年 明治34年1月2日・3日掲載の紙面からの抜粋です。

○七日間で世界一周ができる 。男女を問わず1回以上世界旅行をする
○暑さ、寒さしらずになる
○写真電話ができる
△買い物が便利になる、遠距離品の鑑定ができ地中の鉄管を通して配達される。
○鉄道の速力が上がり東京―神戸を二時間半で行けるようになる
○自動車の世になる。馬車は廃止。自動車が安く買える。自動車専用道路、大気汚染、騒音公害を出すと予測。
×人と獣の自由に会話ができるようになる

  完璧に予測が当たったものから、半分くらい的中したものが殆どで的中率の高さは驚きである、と「百年前の二十世紀」という本にはありました。(筑摩書房刊 横田 順彌著) 100年前の人が100年後を予想したものですが結構当たってますね。びっくりです。○の「ズバリ的中」っていうものもあるし、「惜しい。まだそこまでいってない」という△もあります。これから先も100年ごとにこうした未来予測が出されて、100年後の人たちが「当たってるねえ、すごいねえ」「残念、まだここまで行ってないな」と言い合うことになるのでしょうか。
  実は2000年。この年にも同じような発表がありました。「これから21世紀になるけど、100年後はきっとこんなことができるようになってると思いますよ」と予想したものです。どんなことを予想しているか見てみましょうか。各分野の専門家(企業、大学、政府研究機構の研究者、技術者)約1200名の「21世紀中に実現する、あるいは実現して欲しい新技術や、これに伴う生活や社会の根本的な変化など」についての意見をまとめた科学技術庁、科学技術政策研究所のレポートからです。

・ 遺伝子技術の発展 食料問題により人類の小型化。
・ 脳科学の発展。人間の脳機能を超えるコンピューターが開発される。
・ 医療の変革。全ての病気が治療可能となり老化速度の制御が可能となる。
・ 巨大自然エネルギーの利用。台風、地震、火山などのエネルギー利用技術が開発される。
・ 人間の生活圏変化 ・宇宙都市の実現。月、火星、宇宙ステーションで生活、短期旅行者が相当の規模となる。

  いかがですか。「そんなこと無理だよ、できっこないさ」と思われることもありますね。でも100年前の明治の時代の人も「こんなことできたらいいな」って予想したんじゃないでしょうか。とても出来そうもない夢のようなことが、今では当たり前になっていることにウキウキさせられませんか。かつて鉄腕アトムが空を飛んでいる背景には高層ビルが描かれ、高速道路には空中に浮く車が走り、空にはヘリコプターが飛んでいました。空中に浮く車こそ今まだお目にかかっていませんが、その未来都市の様子は今の町並みとなんら変わりませんでした。
  人間が頭の中に思い描いたことって、その多くは実現可能なものなのかもしれません。大きな夢を描きその可能性を信じれば、きっと夢は実現するのでしょう。私には2000年に予想された科学技術の多くをこの目で確かめることはできませんが、 皆さんがこれを実現するエンジニアになる可能性は大です。そのために今基礎的な勉強をしっかりとしておきたいものです。


校庭東側 ある日の朝日です


昇降口西側 ある日の夕日です

3月6日(月曜日)

  舞台は江戸時代。本宮源右衛門というパッとしない一人の武士が主人公です。この源右衛門さん。もうおじいさんなのですが、いろいろないきさつがあって寺子屋を開くことになりました。寺子屋というと江戸時代の町中にあった塾みたいなもので、読み書き、そろばん。つまり文字の読み書きと、簡単な計算を子どもたちに教えた所です。しかし、源右衛門さん。小料理屋の二階を借りて文字の読み書きができない大人たち相手に寺子屋を開くことになったのでした。今と違って江戸時代には大人であっても文字の読み書きのできない人はたくさんいて不思議なことではありません。さて、寺子屋を開く段になって源右衛門じいさんが甥っ子の信之輔とこんな話をします。

「あのおしんという女中も、名前が書けぬそうです」
「教えがいがあるのう」
「信之輔よ。」あらたまって、源右衛門は呼びかけてきた。
「(学校に入って勉強をした)お前にはかえってわかりにくいかもしれん。だが、人が己の名前を書けるというのは大きなことなのじゃ。己の名前が書けるようになれば己というものがはっきりする。己と己以外のものを分かつことができる。それこそが学問の第一歩じゃ。そこからすべてが始まる。」

  いきなり、何の話だと思った人も多いでしょうか。以前にも勉強ってなんでするのかなあ、ということについてここに書いたことがあります。やればやった分だけ頭にすっきり入って成績も良くなればまだしも、すぐ忘れちゃうし、この先の人生で本当に役立つのかなぁなんて悩みは皆さん全員が少なからず考えたことあるんじゃないでしょうか。この話は宮部みゆきさんの書いた「おまえさん」という小説の中の一節なのですが、実はこの中に「どうして勉強しなくちゃいけないの?」という疑問に対する答えが隠されていると栗田亘さんという方が「明日はどうしてくるの」―15歳の寺子屋―という本に引用していらっしゃったので、ちょっと紹介してみました。

 栗田さんといえばかつて朝日新聞の「天声人語」というコラム欄を書いていた文章の名人として有名な名コラムニストの方です。「名前が書ける、つまり勉強の第一歩を踏み出すと、自分ってなんじゃろう? 自分は何のために生きるのじゃろう? そうした疑問を抱くようになるもんじゃ。そして、人間は何のために生きるのかいな? お金を儲けるために生きるのか? だれかを喜ばせるために生きるのか? そういうことを考えるようになるであろう。それこそ、いろいろと考えるようになるはずじゃ。その時、考えるためには学んだ知識が土台となる。実はそれこそがとても大切な事なんじゃぞ。」・・・・と、源右衛門じいさんは言っているのだと栗田さんは書いています。そしてズバリ、なぜ勉強するのでしょう?と聞かれたら「それは、自分の力でものごとを考えられるようになるためだよ。」と、ボクは答えますと明快に書かれておられました。納得です。

  ちなみに、この「明日はどうしてくるの」15歳の寺子屋の本の扉にはこう書かれています。
「今日より明日をよくするために明日はあります。人間はだれだって、そうすることができるはずです。その人が今日より明日をよくしたいと心から願っている限り。」(栗田亘(わたる)著 講談社刊)


学校へは考えるために学びに来るのです

3月5日(日曜日)

  「もったいない」を『MOTTAINAI』に
  アフリカの女性ではじめてノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんという名前を聞いたことがあるでしょうか。2011年に71歳の人生に幕を下ろしたケニアの環境保護活動家の女性です。彼女は環境問題を話し合う会議で初めて日本に来た時に、日本語の中に「もったいない」という言葉があることを知ったのだそうです。
  「もったいない」という日本語の持つ言葉の意味や思いに感銘を受けた彼女は、これを世界中に広めるため、他の国の言語でこれに当たるような言葉を探しました。英語には「Wasteful」(ウエイストフル)・・・・「無駄に使う」「不経済」という言葉がありますが、実は日本語の「もったいない」には単なる「無駄遣い」という意味を越えた、自然や物に対する尊敬や愛情などが込められている言葉なので、その細かなニュアンスまで表す言葉は世界中のどの国の言語にも他には見つからなかったのだそうです。そこで、マータイさんは「もったいない」を日本人の伝統的に持っている素晴らしい精神として、ローマ字表記の世界共通語の 『MOTTAINAI』にしようと、世界中に広めました。
  その中にはレジ袋に慣れてしまっている今の日本人が忘れてしまった「風呂敷」の素晴らしさなども含まれていました。日本の伝統美である風呂敷を「もったいない精神の象徴」と紹介し、「Furoshiki」をアピールし、風呂敷ブームを巻き起こしたこともありました。マータイさんが環境問題のスタートとして世界共通語にしようとした「もったいない」の精神が書かれた本があります(マガジンハウス刊)そのうちの一か所だけ紹介しましょう。

「レストランや家庭では、毎日たくさんの食べ物が捨てられています。コンビニエンス・ストアでも、1日に3〜4回、販売期限が切れたお弁当や食料品を廃棄処分にしています。1軒のお店が1日に13キログラムの食品廃棄物を出すとすれば、全国4万店で1日520トン。・・・・・世界では1日に1万7千人もの人々が、飢餓のために命を失っています。」

  「もったいない」・・・・この言葉の持つ意味を私たち日本人は本当に理解して、世界に世界共通語として発信できるだけの毎日を送っているでしょうか。
東日本大震災後、節約や節電が声高に叫ばれました。確かにそのときは「もったいない」精神の行動をとっても、6年を過ぎた今、この「もったいない」という言葉は日々の生活の中に生きているでしょうか。今までも何回かこの言葉に触れましたが、「言葉が消えると挙措(動作や立ち居振る舞い)が消える」とは、作家司馬遼太郎さんという方の言葉です。「もったいない」という言葉が消えると、私たちの周りから物を大切にする、物に感謝するという行動そのものも消えてしまうのです。皆さん一人一人に立ち止まって考えてほしい話です。


水仙がそっと咲いています

3月4日(土曜日)

  『暴風雪 命賭し愛娘守る 風を背に10時間抱き続け  北海道を襲った暴風雪。湧別町で行方不明になった父親は、たった一人の娘を守ろうと、体で覆いかぶさるように約10時間にわたって抱きしめ続け命を落とした。周囲の雪を猛烈な勢いで吹き上げる地吹 雪は夜通し続き、住民らは改めて自然の猛威に体を震わせた。「大丈夫か」。3日午前7時すぎ、湧別町東の牧場用倉庫前で、雪の中に黒色の上着の一部を見つけた 道警遠軽署員が大声を出した。雪を払いのけると、同町の漁師、岡田幹男さん(53)が小学3年の長女 夏音(なつね)さん(9)を両手で抱きかかえながら、うつぶせに倒れているのが見つかり、その胸の下にスキーウエア姿の夏音さんが泣きながら震えていた。岡田さんは風が吹いていた北側に背を向けていた といい、夏音さんは低体温症ながら命に別条はなかったが、岡田さんは搬送先の病院で凍死が確認された。 』

  奇跡という言葉があります。起こり得ないような不思議な出来事を言います。奇跡というのは起こらないから奇跡なのでしょうか。私は何としてもこのお父さんと娘さんには奇跡が起こってほしかったなと当時このニュースを聞いて心の底から思いました。 前も見えないような猛吹雪の中、お父さんが命懸けで守ってくれた娘さんの命。「三井寺の鐘の話」の際にも触れた「無償の愛」とはまさにこうしたものでしょう。10 時間もの間お父さんは娘さんを必死で抱きかかえていました。歌を歌い、励まし、懸命に自然の猛威からわが子を守ろうとした姿がその後の報道でだんだんと伝わり、当時日本中からたくさんの励ましが夏音さんのもとには寄せられたそうです。
  皆さんのお父さんやお母さんも、わが子の命を守ることについては同じです。子どもを思う親の思いとはこうしたものなのです。時には、目をつぶって自分にとって一番大切な人の顔を思い浮かべてみてください。自分を一番大切に思ってくれている人の顔を思い浮かべてみてください。その人の顔が悲しみで曇るような人生を送ってはならないのです。新聞の切り抜きには2013年3月の日付がありますから、お父さんに助けられた夏音さんはこの春みなさんと同じ中学生でしょうか。それにしても悲しいニュースでした。


春近い陽射しを受けて梅の木の影が静かです

3月3日(金曜日)

  人と人との出会いも偶然が左右するように、本との出会いにも偶然がありますね。本校の図書館で偶然手にした本にこんな詩を見つけました。その一節を紹介しましょう。

桃の節句に次女に訓示

なくときは
くちをあいて
はんかちもって
なきなさい
こどもながらによういがいいと
ほめるおじさん
いるかもしれない
ぼくはべつだん
ほめないけどね
・・・・・・・・・
現代詩文庫155 続・辻征夫詩集 思潮社刊 「かぜのひきかた」より

  辻征夫さんという詩人の詩です。この後、次女への訓示は「ねむるときには目を閉じてちゃんと息してねむりなさい」と続きます。思わず「にやっ」とほほえみが湧くような詩だと思いませんか。こうした作品に触れると表現の可能性というのは広いものなんだなぁ、なんてつくづく感じさせてくれます。お薦めです。
  さて、今日は弥生三月、桃の節句。これは今日三日の上巳(じょうし)の節句には季節の花として桃の花を飾ったことに由来します。実は桃という木の実は中国では邪気(じゃき=病気を引き起こす元になると言われる毒になる悪いもの)を払う果実と考えられていました。つまり食べれば身体の中の悪いものを取り除いて健やかに過ごすことができる神聖な果実と考えられていたようです。そうした神聖な果実だからこそ、おばあさんが川で拾ってきてパッカーンと割ったら「桃ちゃん」が出てきたわけです。
  不老不死の力のあるありがたい果物でもあり、孫悟空は天帝の大事にしていた蟠桃園(ばんとうえん)という桃の畑に実っていた桃を盗み食いして天帝の怒りを買い、天の世界から追い出されてしまったりもしています。こちらは皆さんが知ってる「オラ!悟空!クリリーン!」と七つの龍の玉を探しに行く物語ではなく、「西遊記」でのお話し。今日は桃の節句なので桃にまつわるお話しでした。 

 雛祭る 都はづれや 桃の月 (与謝蕪村)


女子もサッカーで笑顔いっぱい

3月2日(木曜日)

  世はグローバル化の時代と盛んに言われます。確かに世界は狭くなり成田や羽田から飛行機に乗れば1日あると世界中のびっくりするようなところまで人を運んでくれるようになりました。しかし今から遡ること1300年前だったらどうでしょうか。時代は奈良時代。修学旅行で奈良の東大寺などを訪ねるとその国際性に驚かされますが、へえー!?というニュースを目にしたので、今日はその切り抜きからのお話です。
  昨年の10月5日の読売新聞。東大寺にペルシャから来たお役人が働いていたというのです。シルクロードをらくだや馬に乗ってえっちらおっちらやってきたのでしょうか。ペルシャからはずいぶんありますよね。その記事によると式部省という人事を扱うお役所跡を発掘していたときに出てきた木簡・・・記録を残しておくための木の細い札ですが、そこに書かれていた文字は薄くて読めなかったのだそうです。そこで、最新の技術を使い赤外線を駆使して読んでみるとなんと役人を養成する「大学寮」というところの宿直の名簿に「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名の役人の中に中国語でペルシャを表す「波斯(はし)」と同じ読み方で、同じ意味を表す「破斯(はし)」という名字を持つ「破斯清通」という人の名前が読み取れたというのです。「天平神護元年(765年)」という年号も書かれていたそうですから、奈良の都ができて50年ほど経った頃です。
  それにしてもペルシャからこの日本まで、どんな風にやってきて、どんな人生を送ったのでしょう。ペルシャに帰れたのでしょうか。阿倍仲麻呂がお隣の中国に勉強に行ったときでさえ、望郷の念止みがたかったわけですから、この清通さんはペルシャの方の空を見ては涙を流していたことでしょう。ちょっと里帰りしてきますっていう距離ではないですからね。
  ちなみに今では深夜東京を発つとカタールのドーハ空港に早朝には到着。イランの都、テヘランの観光が楽しめるそうです。破斯清通さんもきっとビックリしていることでしょう。ところで「清通」さんのお名前は「はしせいつう」さんとお読みするのでしょうか。今日は遠くペルシャからやってきて日本のお役所で働いていたお役人がいたというお話しでした。

今日は県公立高校の入学者選抜学力テスト。216人の3年生、最後の一秒まで頑張れ!頑張りきろう!


元気に体育の授業で蹴球中

3月1日(水曜日)

  その子は小学校2年生の時にお兄ちゃんが入っていたサッカークラブに入りたいと、駄々をこねました。女の子ということで入団を渋られたのです。でも、お母さんが何とかお願いしてくれて「仮入団」という形でチームの一員になりました。男ばかりの中にたった一人の女の子。「女がサッカーなんかやるんじゃねえよ」とからかう相手チームの男の子を試合中でも構わずに追っかけまわすような勝気な少女だったようです。その後、コーチの勧めにより試合に初出場すると、いきなりゴールを決め正式入団が許されました。またその時からチームメイトも彼女を女の子として扱わなくなったと言います。このころは練習も遊びも歳上の男子ばかり。それが女子としては、ずば抜けたキック力やスキルが身に付いた理由だと本人は後になって話しています。
この女の子の名前は澤穂希さん。日本代表としてワールドカップ優勝という快挙を成し遂げた「なでしこジャパン」のキャプテンです。その後、中学に入学すると同時に、当時の日本代表が多く所属する強豪チーム、読売サッカークラブ女子・ベレーザに入団。通常、中学生は下部組織のメニーナで実力をつけてから昇格するのが普通だそうですが、監督に最初からトップチームに引き上げられました。当然周りは年上のプレーヤーばかり。澤は同じようにプレーできなかったことが悔しくて、一人毎日毎日居残り練習を繰り返し、その結果大きく実力が磨かれることになりました。中学一年の夏には、早くも現在のなでしこリーグに出場、3試合目に初ゴールを決め、1993年、15歳で日本女子代表に招集。初出場を果たしたデビュー戦で4得点。リーグを代表する選手となったのです。
  その後の活躍は皆さんのほうがよく知っているかもしれません。2011 FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会ではキャプテンとして出場。
 グループリーグ・メキシコ戦でのハットトリック、
 準々決勝ドイツ戦での決勝点のアシスト、
 準決勝スウェーデン戦での決勝点、
 決勝アメリカ戦での延長後半12分の同点ゴール
計5ゴール1アシストを記録し、日本サッカー史上初のW杯優勝に大きく貢献、自身も日本人初となるW杯での得点王とMVPの二冠を達成しました。北京オリンピック、三位決定戦であるドイツ戦に臨む直前のミーティングで彼女は緊張で固くなりがちなチームメイトにこんな言葉をかけています。
「苦しい時は私の背中を見て」
  キャプテンからこんな力強い言葉をかけられたら、チームメイトとしてはどうでしょう。安心してプレーに臨めたはずですよね。これが澤選手の素晴らしいところだと思います。プレー中のその背中は「私がついてるから大丈夫」とチームメイトに強いメッセージを発信し続けていました。。
「夢は見るものでなく、叶えるもの」
  これは澤選手が座右の銘として大切にしている言葉だそうです。夢を見て、それを追いかけ、そして夢をかなえ、その夢を追い抜いて行ったアスリートの言葉として皆さんにも大切にしてほしい言葉だと思い、今日3月1日はそんな話をしてみました。いよいよ28年度も残すところあと一か月。明日は県公立高校の受検日です。夢にまた一歩近づく大切な一日となります。頑張れ216人の3年生!


元気な声が聞こえてきます

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